夏のお話
2025-07-11
皆さん、こんにちは!りんちゃんです!
いよいよ夏本番ですね!
今日は夏についてお話したいです!
皆さんは「夏」といえば、何を思い浮かべますか?
去年の夏、私は中国の大連という町で、卒業論文と苦戦していました…
あの頃は、図書館にこもって参考文献とにらめっこする日々でしたが、それでも外に出て、夕方の明るい空の下を歩いて、涼しい風に吹かれる瞬間は、幸せを感じました。
夏の良さの一つは、やはり日が長いこと!
そしてもう一つ、夏と言えばやっぱり「昆虫」の季節でもありますよね。
今日は夏についてお話したいです!
皆さんは「夏」といえば、何を思い浮かべますか?
去年の夏、私は中国の大連という町で、卒業論文と苦戦していました…
あの頃は、図書館にこもって参考文献とにらめっこする日々でしたが、それでも外に出て、夕方の明るい空の下を歩いて、涼しい風に吹かれる瞬間は、幸せを感じました。
夏の良さの一つは、やはり日が長いこと!
そしてもう一つ、夏と言えばやっぱり「昆虫」の季節でもありますよね。
蝉

ミンミンゼミならミンミン、ヒグラシならカナカナカナ、ツクツクボウシならツクツクボウシ…。
地域によって鳴き声にも個性があって、耳を澄ませてみると意外と面白いです。
蝉という虫は、幼虫時期は地中に籠りそこで数年を過ごします。その長さは、六年から十数年に至る種類もあるらしいです。
地域によって鳴き声にも個性があって、耳を澄ませてみると意外と面白いです。
蝉という虫は、幼虫時期は地中に籠りそこで数年を過ごします。その長さは、六年から十数年に至る種類もあるらしいです。
なのに、ようやく成虫になり地上に出たと思ったら、ほんの一二週間、長くとも一ヶ月程度でこの世の生を全うしてしまいます。
それでも彼らは、命の限られた時間の中で全力で鳴き続け、短い生命を精一杯謳歌します。
「蝉に氷を語らず」という諺をご存知でしょうか。
これは、夏の蝉に冬の氷のことを語っても通じない、つまり経験していないことは理解できない、という意味です。
それでも彼らは、命の限られた時間の中で全力で鳴き続け、短い生命を精一杯謳歌します。
「蝉に氷を語らず」という諺をご存知でしょうか。
これは、夏の蝉に冬の氷のことを語っても通じない、つまり経験していないことは理解できない、という意味です。
時にこの諺は、浅はかさや未熟さを非難する文脈で使われることもあります。
けれど私は、精一杯生きて、ただ一度の夏を謳う蝉の姿には、むしろ強さを感じるのです。
……とはいえ、夜に耳元でワシャワシャ鳴かれると、やっぱりちょっと迷惑ですけど(笑)。
けれど私は、精一杯生きて、ただ一度の夏を謳う蝉の姿には、むしろ強さを感じるのです。
……とはいえ、夜に耳元でワシャワシャ鳴かれると、やっぱりちょっと迷惑ですけど(笑)。
蛍

蝉とは対照的な存在として、私は「蛍」を思い浮かべます。
声を持たず、静かに光を放つ蛍。
その光は、しばしば恋の情熱や命の儚さになぞらえられます。
「鳴く蝉より鳴かぬ蛍が身を焦がす」という句は、私が割と好きです。
激しく鳴きたてる蝉よりも、声を出さない蛍のほうが、その思いを焦がして光っているという例えです。
表にあらわすものよりも、内に秘めているもののほうが、遥かに心中の思いに痛切なものがあることを言います。
確かに、激しく鳴きつづいて自己を主張する蝉に対して、言葉にせず、淡い光で夜を照らす蛍の姿には、どこか切なくて、美しいものがありますね。
でもきっと、その沈黙の奥には、深い感情や言葉にならない痛みが宿っているのかもしれません。
自分の主張を強く表している蝉と語らずに光っている蛍、皆さんはどっちがいいですか?
声を持たず、静かに光を放つ蛍。
その光は、しばしば恋の情熱や命の儚さになぞらえられます。
「鳴く蝉より鳴かぬ蛍が身を焦がす」という句は、私が割と好きです。
激しく鳴きたてる蝉よりも、声を出さない蛍のほうが、その思いを焦がして光っているという例えです。
表にあらわすものよりも、内に秘めているもののほうが、遥かに心中の思いに痛切なものがあることを言います。
確かに、激しく鳴きつづいて自己を主張する蝉に対して、言葉にせず、淡い光で夜を照らす蛍の姿には、どこか切なくて、美しいものがありますね。
でもきっと、その沈黙の奥には、深い感情や言葉にならない痛みが宿っているのかもしれません。
自分の主張を強く表している蝉と語らずに光っている蛍、皆さんはどっちがいいですか?
蠅

最後に少し異質な昆虫についても触れてみたいと思います。
少し過激に聞こえるかもしれませんが、「この世から消えてほしいものは?」と問われれば、私は迷わず「蠅」と答えます(笑)。
でもそんな蠅も、文学の中では意外な角度から描かれているんです。
横光利一の短編小説『蠅』では、乗合馬車に集まった乗客たち――
息子を亡くし、葬儀に向かう白髪のおばあさん、裕福な出自の商人、饅頭を食べながら仕事を怠ける車掌など――それぞれが異なる事情を抱え、ひととき同じ空間を共有しています。
その中で、一匹の蠅がずっと飛び回り、彼らの会話や表情を無言で見つめています。
蠅は何も語りません。ただ、誰よりも冷静に、すべての出来事を目撃しています。
そして、物語は皮肉な結末を迎えます。
車掌が饅頭を食べて油を売っていたせいで、馬車は崖から落ち、乗客たちは皆命を落としてしまうのです。
そんな中、最後まで生き残っていたのは――あの蠅だけ。
人間たちの滑稽で悲しい営みを、黙って見届ける蠅。
まるで一台のカメラのように、ただそこに漂い、すべてを記録し続けていたようでした。
少し過激に聞こえるかもしれませんが、「この世から消えてほしいものは?」と問われれば、私は迷わず「蠅」と答えます(笑)。
でもそんな蠅も、文学の中では意外な角度から描かれているんです。
横光利一の短編小説『蠅』では、乗合馬車に集まった乗客たち――
息子を亡くし、葬儀に向かう白髪のおばあさん、裕福な出自の商人、饅頭を食べながら仕事を怠ける車掌など――それぞれが異なる事情を抱え、ひととき同じ空間を共有しています。
その中で、一匹の蠅がずっと飛び回り、彼らの会話や表情を無言で見つめています。
蠅は何も語りません。ただ、誰よりも冷静に、すべての出来事を目撃しています。
そして、物語は皮肉な結末を迎えます。
車掌が饅頭を食べて油を売っていたせいで、馬車は崖から落ち、乗客たちは皆命を落としてしまうのです。
そんな中、最後まで生き残っていたのは――あの蠅だけ。
人間たちの滑稽で悲しい営みを、黙って見届ける蠅。
まるで一台のカメラのように、ただそこに漂い、すべてを記録し続けていたようでした。
蝉のように声を張り上げて生きるのか、蛍のように静かに輝くのか、それとも蠅のように観察者として漂うのか。
それぞれの在り方がある夏の昆虫たちに、自分自身の姿を重ねてみるのも、面白いかもしれません。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました!






