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新人BLOG

問いの世界に生きる

2025-09-12
こんにちは。りんちゃんです!
「問いの世界には自由がある。答えの世界には自由がない。」
これは、私があるお寺の掲示板で見かけた言葉です。
既に用意された「答え」に従うのは、確かに楽かもしれません。

けれど、生き方やものの見方は本来、人それぞれにあるはずです。

私自身、これまでの人生の中で、社会や家族から「こうあるべき」という答えを押しつけられたことがありました。
それが本当に自分にとっての「正解」なのか。そう自分に問い直すのは、時に疲れるし、孤独も感じます。
今回は、そんな「問い」にとどまり続けたふたりの芸術家、フランツ・シューベルトと中島敦について書いてみます。
彼らは不安や苦しみを抱えながらも、答えを急がず、問いを作品に刻みました。
その姿勢に、私はある種の救いと自由を感じています。
シューベルトの問い:D960と《冬の旅》の行き着く先
シューベルトの《ピアノ・ソナタ第21番 D960》は、彼の最晩年に書かれた作品です。
冒頭、左手の低音で静かなトリルが響き、長い間のあと、旋律がゆっくりと始まります。
その響きには、何かを「問うている」ような雰囲気があります。
誰かに説明するためではなく、自分の内側に耳を澄ませるような、そんな問いかけです。

彼の歌曲集《冬の旅》でも、似た問いが繰り返されています。
これは、恋人に去られ、雪の中を歩き続ける男の物語。
特に印象的なのは第21曲「Das Wirtshaus(宿屋)」。
疲れ果てた旅人が宿屋に辿り着き、「ようやく休める」と思うけれど、そこは彼を迎え入れない。彼は再び歩き始めます。
ここで「宿屋」は「死」の比喩とも読めます。


実際、シューベルトは若い頃から不治の病を抱えていました。
絶望を抱えながらも音楽を愛し、常に死の影を感じながら生きていたのです。
「自分はいずれ死ぬ」という確信と、「それでも死はなかなか訪れない」という残酷な矛盾。
その狭間に、彼の音楽が生まれたのかもしれません。

中島敦の問い:「山月記」
日本の作家中島敦の作品にも、「答えの出ない問い」が強く流れています。

代表作『山月記』では、「なぜ自分は虎になってしまったのか?」という問いが物語の軸です。
詩人として名を残したいという誇りと、自分の才能への不安との間で揺れた男が、ついには人間性を失って虎になる。
彼は山中で旧友に再会し、己の過去を語りながら、問い続けます。
自分の弱さ、社会との距離、失ったものの意味……。
でも、最後までその問いに明確な答えは出ません。

それは作者である中島敦自身にも通じます。
病弱で、社会に適応することも難しかった中島は、33歳という短い生涯の中で、ずっと問い続けていた人だったように思います。
彼の小説は、読者に問いを投げかけたまま終わります。
解決を示さないからこそ、その言葉はいつまでも胸に残ります。
問いと自由
シューベルトは31歳で病死し、中島敦は33歳で結核で亡くなりました。
二人とも短い人生の中で、最後まで「答えの出ない問い」と向き合い続けた人たちです。

シューベルトは生涯ベートーヴェンを敬愛し、死後はその隣に葬られました。
中島敦もまた、芥川龍之介を敬い、彼の作風から大きな影響を受けました。
彼らは先人の光に導かれつつも、その影にとどまらず、自分の足で歩み、自分なりの答えを探し続けました。 

問いには、終わりがありません。
それは不安でもありますが、「問い続けていいのだ」という自由でもあります。


シューベルトの音楽が、解決しきらないまま消えていくように。
中島敦の物語が、答えを示さずに終わるように。
私もまた、答えを急がず、問いと共に生きていこうと思います。

そこにこそ、本当の自由があるのかもしれません。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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