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新人BLOG

「無常」について

2025-12-26
りんちゃん凛のブログをご覧になっている方、お久しぶりです。

私は「凛」という漢字が好きです。凛々しい人でありたいから。
今回限り、「凛」でいさせてください。

正直に言うと、今回のブログのテーマはなかなか決められず、かなり迷いました。
大好きな映画についても書きたいし、好きな音楽もまだたくさんあります。
けれど今回は私にとって、最後の新人ブログでもあります。
だからこそ、今の自分が自然に考えていることを書こうと思いました。

今日のテーマは「無常」です。

「無常」は、日本の文化、少なくとも伝統文化の中で、とても重要な概念だと思います。
以前触れた『方丈記』もそうですし、『平家物語』にも有名な一節があります。

——「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」


『戦場のピアニスト』とショパン

無常の世の中において、人は何を選ぶのか。
あるいは、何を選ばされるのか。

私の好きな映画の一つである『戦場のピアニスト』では、ユダヤ人である主人公が、時代の流れに翻弄され、家族を失い、逃げるようにして生き延びていきます。
そして、敵であるはずのドイツ軍の大佐に助けられ、彼は戦争を生き抜きます。

物語の冒頭で、彼の家族は上流階層に属しており、皆、音楽家や弁護士、教師といった職業に就いていました。
しかしやがて、戦争によって楽器を売り、本を売らざるを得なくなり、すべてを失っていきます。

その経歴は、まさに世の中の無常を表しているように思えます。

私が『戦場のピアニスト』を特別に好きなのも、作中でショパンの《バラード第1番》が、非常に印象的に用いられているからです。

ドイツ軍の大佐は、主人公の職業を尋ね、ピアニストだと知ると、曲を弾いてくれと言います。
そこで彼は、《バラード第1番》を演奏しました。

主人公の人生は過酷なものでした。
けれども、無常は必ずしも悲しみだけを意味するものではありません。
ただ、ある瞬間は二度と戻らないのだと。

ショパンの《葬送行進曲》(ピアノ・ソナタ第2番)の第3楽章には、途中に一度だけ、穏やかで温かい旋律が現れます。
それは祖国ポーランドへの想いを表している、と言われることもあります。
けれど私には、その感情はもっと個人的で、同時に普遍的なものに感じられます。
懐かしむ対象が何であるかよりも、その人が確かに感じた感覚そのものが、そこには残っているように思うのです。
『白い巨塔』
無常という言葉を考えるとき、もう一つ思い浮かぶ作品があります。
それが、日本のドラマ『白い巨塔』です。

この作品の主人公は、とても複雑な人物です。
卓越した技術を持つ外科医でありながら、教授の座を目指すうちに、次第に関心は治療そのものではなく、権力争いへと移っていきます。
そして物語の終盤、彼自身ががんを患います。

そのとき彼は、
「私は後悔はしていない。ただ、無念なだけだ」
と語ります。

無常の前では、人はあまりにも小さい存在なのだと、強く感じさせられる場面でした。
それでも私は、この作品が今も変わらず好きです。
おそらく、こうした問いについて考えること自体が、好きなのだと思います。

『白い巨塔』のドラマでは、ワーグナーの《タンホイザー序曲》がBGMとして用いられたことがあります。

ちょうど昨年、私が札幌に来たばかりの頃、指揮者・尾高忠明氏による札幌交響楽団の定期演奏会で、この曲が演奏されていました。とても印象に残り、強く惹かれたのを覚えています。理由はうまく説明できませんが、ただ「いい音楽だ」と感じました。


そして同時に、ドラマのある場面が目に浮かびます。それは、主人公・財前が暗いオフィスの中で、まるで楽器を演奏するかのような手つきで、手術を模擬している場面です。


彼を良心を失ったインテリだと言っている人もいれば、悲劇の英雄として敬っている人もいるようです。見方は人それぞれだけど、私はただ、あの場面を忘れられずにいます。



最後に、
この半年余り、ブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。
一期一会ではありますが、『風と共に去りぬ』の主人公の名台詞にもあるように、
「明日はまた新しい一日」です。
どうか、皆さんが健康で、穏やかに過ごせますように。
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