
「7」について
(※以下、ストーリーの核心に触れます)
舞台は、とある小さな農村。
住民たちは農業で暮らしていますが、収穫のたびに山賊に襲われ、穀物を奪われてしまいます。
そんな中、村の一人の知恵者が提案します――「武士を雇って、村を守ろう」と。
やがて、農民たちは剣術に優れ、知恵もある一人の武士を見つけます。ここでは彼を「第一の侍」と呼びます。彼はこう言いました。
「村を守るには、少なくとも7人の侍が必要だ」と。
その言葉を受けて、農民と第一の侍は仲間探しを始め、最終的に7人の侍が集結します。
彼らは力を合わせて山賊と戦い、村を守り抜くことに成功しますが、戦いの末に生き残ったのは7人中わずか2人。
この結末を観たとき、私は新選組副長・土方歳三のが戦死する前夜に詠んだ句「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ」を思い出しました。
凱旋門賞と海外競馬
気がつけば10月、いよいよ秋競馬シーズン真っ盛りですね!そして競馬ファンにとってこの時期最大のイベントといえば…そう、フランスで行われる「凱旋門賞」です。今年も3頭の日本調教馬(アロヒアリイ、ビザンチンドリーム、クロワデュノール)が世界の舞台に挑むわけですが、今回はこの凱旋門賞をきっかけに「海外競馬」について少しお話ししてみたいと思います。
一方で、かつて盛んだった国の競馬が衰退してしまった例もあります。例えばイタリアは、日本の競馬ファンでもよく知っているトニービンなどを輩出した歴史を持ちながらも近年は勢いを失い、国際舞台での影が薄くなってきてしまいました。長い歴史を誇る競馬が無くなっていくのは一ファンとしてとても寂しいです。
ここでは現在でも競馬が続いている国からいくつかを紹介したいと思います。 」
・シーザリオ
既に私のブログで何度か登場しているシーザリオですが、この馬も海外G1に挑戦した馬の一頭です。
シーザリオは2005年にアメリカンオークス(芝2000)に挑戦し、日本調教馬として初めてのアメリカG1勝利という偉業を達成しました!残念ながらシーザリオはこのレースを最後に怪我で引退することになりましたが、引退後もお母さんとして何頭もの名馬を輩出し、今なお競馬ファンの記憶と血統表に名を刻む名馬になりました。
・マルシュロレーヌ
マルシュロレーヌはアメリカのダートG1を初めて勝利した日本調教馬で、この偉業を達成したのは現在のところ彼女一人だけです。マルシュロレーヌは2021年にBCディスタフ(ダート9ハロン)に勝利しました。前述の通りアメリカ競馬はダートの本場であり、この勝利は世界中に衝撃を与えるとともにマルシュロレーヌの名を日本競馬史に刻むことになりました。
ここでは個人的に特に好きな馬を紹介しましたがこれは本当にほんの一部なので、興味を持った皆さんはぜひご自身で日本調教馬の海外挑戦の歴史を調べてみてください!
ということで、今回は凱旋門賞を前に「海外競馬」についてご紹介しました。日本競馬だけでなく海外の競馬を知ることでさらに奥深さを感じられるはずです。
今週末はいよいよ凱旋門賞!今年はどんなドラマが待っているのか、今からとても楽しみです。
それでは今回はこの辺で!ここまで読んでいただきありがとうございました!
ボールも食欲も、絶好調。
こんにちは!
今回でなんと7回目の投稿になります、くるちゃんです
ここまで続けられたのも、読んでくださる皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!
さてさて、恒例の「数字にまつわる小話」、今回はラッキーな感じのこの数字――7について!
世界が愛した“ラッキーセブン”
「7」といえば、まず思い浮かぶのはラッキーセブンですよね。
日本でも野球やビンゴなど、いろんな場面で“幸運”の象徴として使われていますが、
実はこの「7」、世界的にもかなり人気のある数字なんです。
例えば…
一週間は「7日間」
虹の色は「7色」
音階は「ドレミファソラシ」までの「7音」
古代世界の「七不思議」
宗教や神話でも「7」は神聖な数字(例:創世記の7日間)
こうして見ると、「7」ってただの数字じゃなくて、
何かを完結させる数だったり、
区切りやリズムを作る数として使われていることが多いんです。
7はなんとなく、ちょうどいい
「奇数なのにバランスがいい」
「1週間のリズムがちょうどよく回る」
「覚えやすくて、縁起もいい」
そんな理由から、7って人の心にしっくりくる不思議な数字なのかもしれません。
ということで今回は、「7」にまつわるちょっとした小話でした!
次回は「8」……またグッと変わった世界が見えてくるかもしれません。。。
ボウリングは、昔からずっと好きなスポーツです!!
あの一球に集中して、ピンがガラガラっと倒れるあの音を聞くと、
なんとも言えないスッキリ感と、ちょっとした達成感がやってきます。。。
特に、カーブでピンが割れる瞬間がたまりません。
まっすぐでは倒れないピンが、横から巻き込まれてごっそり消えていく。
あの快感が忘れられず、投げ方を研究し続けてきました。
そして先日、ついにその努力が報われた日が来ました。
1フレームから5フレームまで、見事にストライクが続き、
7フレーム以降もスペアやストライクを丁寧につなぎ、スコアは193点。
「あと少しで夢の200点…!」と、プレッシャーがかかる10フレーム。
1投目、まさかのガター。
頭が真っ白になりかけたけど、2投目で冷静に7本倒して――
スコアはぴったり200点。
ガッツポーズというより、「よっしゃ…」と小さくつぶやいたくらいの、
静かだけど、心に沁みる達成感がありました。
やっと辿り着いた、ボウリング人生初の200点。
あのスコアボードの写真は、今でもスマホの中の小さな“宝物”です!!
9月も半ばを過ぎたけど、まだ昼間はしっかり暑い。
朝晩は少し風が涼しくなったとはいえ、日中は半袖のまま汗をかく日も多くて、
「本当に秋って来るのかな…」と思ってしまうような気温が続いています。
でも、それでも不思議と――
最近、食べたいものが秋っぽくなってきた気がします!!
さつまいも、栗、きのこ、梨。
スーパーで見かけるたびに、なんとなく手に取りたくなって、
気づけば買い物カゴの中に“茶色っぽい食材”が増えている。
扇風機の効いた部屋で、ほくほくのやきいもを食べている自分に、
「まだ夏だぞ」とツッコミを入れたくなる瞬間もあります(笑)
食欲の秋って、気温じゃなくて気持ちのスイッチなのかもしれません。
身体はまだ夏の名残に包まれていても、心は少しずつ“食べたい秋”に切り替わっていく。
今年は、秋限定のお菓子やドリンクを早めに楽しんで、
まだ暑い日々の中にちょっとだけ秋を先取りして過ごしてみようと思います!!!
語りたい!地元の魅力!
問いの世界に生きる
既に用意された「答え」に従うのは、確かに楽かもしれません。
それが本当に自分にとっての「正解」なのか。そう自分に問い直すのは、時に疲れるし、孤独も感じます。
彼らは不安や苦しみを抱えながらも、答えを急がず、問いを作品に刻みました。
その姿勢に、私はある種の救いと自由を感じています。
冒頭、左手の低音で静かなトリルが響き、長い間のあと、旋律がゆっくりと始まります。
その響きには、何かを「問うている」ような雰囲気があります。
誰かに説明するためではなく、自分の内側に耳を澄ませるような、そんな問いかけです。
これは、恋人に去られ、雪の中を歩き続ける男の物語。
特に印象的なのは第21曲「Das Wirtshaus(宿屋)」。
疲れ果てた旅人が宿屋に辿り着き、「ようやく休める」と思うけれど、そこは彼を迎え入れない。彼は再び歩き始めます。
ここで「宿屋」は「死」の比喩とも読めます。
実際、シューベルトは若い頃から不治の病を抱えていました。
絶望を抱えながらも音楽を愛し、常に死の影を感じながら生きていたのです。
「自分はいずれ死ぬ」という確信と、「それでも死はなかなか訪れない」という残酷な矛盾。
その狭間に、彼の音楽が生まれたのかもしれません。
代表作『山月記』では、「なぜ自分は虎になってしまったのか?」という問いが物語の軸です。
彼は山中で旧友に再会し、己の過去を語りながら、問い続けます。
自分の弱さ、社会との距離、失ったものの意味……。
でも、最後までその問いに明確な答えは出ません。
病弱で、社会に適応することも難しかった中島は、33歳という短い生涯の中で、ずっと問い続けていた人だったように思います。
彼の小説は、読者に問いを投げかけたまま終わります。
解決を示さないからこそ、その言葉はいつまでも胸に残ります。
二人とも短い人生の中で、最後まで「答えの出ない問い」と向き合い続けた人たちです。
中島敦もまた、芥川龍之介を敬い、彼の作風から大きな影響を受けました。
問いには、終わりがありません。
それは不安でもありますが、「問い続けていいのだ」という自由でもあります。
シューベルトの音楽が、解決しきらないまま消えていくように。
中島敦の物語が、答えを示さずに終わるように。
私もまた、答えを急がず、問いと共に生きていこうと思います。
そこにこそ、本当の自由があるのかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。













