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新人BLOG

「7」について

2025-10-17
こんにちは、りんちゃんです!
今日は「7」という数字にまつわる話をいくつかご紹介したいと思います。


本所七不思議
最初にご紹介するのは、ゲーム『本所七不思議』です(※ネタバレを含みます)。
この作品には、Meta的な演出がふんだんに取り入れられています。
私の理解では、通常のゲームでは「プレイヤー」は物語の中には存在せず、プレイヤー=主人公という構造が一般的です。ですが、Meta作品ではプレイヤーと「画面内の主人公」が完全に分離されており、キャラクターが「主人公」ではなく、画面越しにプレイヤー自身へ直接語りかけてくるのです。
たとえば、私が昔遊んだあるゲームでは、PC内のユーザーデータを読み取り、プレイヤーの名前を勝手に主人公名として表示するという仕掛けがありました。とても驚きましたが、それと同時に強く印象に残った体験でもあります。
この『本所七不思議』では、登場人物たちがそれぞれ特殊な「能力」を持っています。
ある男性キャラクターは、自分の声を聴いた相手に呪いをかける能力を持っており、私も初対面の際に呪われ、デッドエンドを迎えてしまいました。
ただ、その呪いを回避する方法は「PCの音量を0にすること」だったのです。つまり、プレイヤーが現実のPCを操作することで、ゲーム内の攻撃を無効化するという仕掛け。画面の中だけで完結しない演出に驚かされました。
また、キャラクターAが死に向かうシーンでは、プレイヤーがキャラクターBを操作することでAの運命を変えることができるという構造もあります。
こうしたMeta的演出は、プレイヤーの存在を作品世界に強く引き込むもので、非常にユニークで魅力的でした。

七人の侍
続いて紹介するのは、黒澤明監督による映画『七人の侍』です。
(※以下、ストーリーの核心に触れます)
舞台は、とある小さな農村。
住民たちは農業で暮らしていますが、収穫のたびに山賊に襲われ、穀物を奪われてしまいます。
そんな中、村の一人の知恵者が提案します――「武士を雇って、村を守ろう」と。
やがて、農民たちは剣術に優れ、知恵もある一人の武士を見つけます。ここでは彼を「第一の侍」と呼びます。彼はこう言いました。
「村を守るには、少なくとも7人の侍が必要だ」と。
その言葉を受けて、農民と第一の侍は仲間探しを始め、最終的に7人の侍が集結します。
彼らは力を合わせて山賊と戦い、村を守り抜くことに成功しますが、戦いの末に生き残ったのは7人中わずか2人。
この結末を観たとき、私は新選組副長・土方歳三のが戦死する前夜に詠んだ句「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ」を思い出しました。
7にまつわるクラシック
最後に、「7」にまつわるクラシック音楽をいくつかご紹介します。
まずはベートーヴェンの交響曲第7番。
この曲を初めて知ったのは、ドラマ『のだめカンタービレ』でした。
主人公・のだめの憧れの先輩「千秋」は、指揮者を志しながらも大学ではピアノを専攻していました。
そんな彼がついに指揮者として舞台に立つ機会を得て、デビュー曲に選んだのがこの第7番です。
第一楽章の高揚感と推進力のあるリズムは、千秋の情熱と完璧に重なり、聴いている側もぐっと引き込まれます。
また、イギリス映画『英国王のスピーチ』でも第二楽章が使用されています。
私もこの第二楽章が特に好きです。どこか穏やかで、深い感情が静かに波打つような印象を受けます。
もうひとつ、「7」といえば、ショスタコーヴィチの交響曲第7番――通称「レニングラード」。
強く反復される主題や無機質な行進のリズムには、時代の緊張や圧力がにじんでいます。
「平和な時代に聴くと騒音のように感じる」と評されることもあるそうですが、私にとっては不思議な引力を持つ作品です。
ついでにもう一つ――ドヴォルザークの交響曲第7番も個人的に好きです。彼の第9番「新世界より」の方が有名ですが、第7番もドラマチックで深みのある曲でおすすめです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

凱旋門賞と海外競馬

2025-10-10
みなさんこんにちは!もっちです。
気がつけば10月、いよいよ秋競馬シーズン真っ盛りですね!そして競馬ファンにとってこの時期最大のイベントといえば…そう、フランスで行われる「凱旋門賞」です。今年も3頭の日本調教馬(アロヒアリイ、ビザンチンドリーム、クロワデュノール)が世界の舞台に挑むわけですが、今回はこの凱旋門賞をきっかけに「海外競馬」について少しお話ししてみたいと思います。
海外競馬の歴史
近代競馬のルーツをたどるとイギリスに行き着きます。18世紀に第12代ダービー卿エドワード・スミス・スタンレーらによって創設された「エプソムダービー」は世界中の競馬に影響を与え、日本でも東京優駿(日本ダービー)は全てのホースマンの夢と呼ばれるほど特別な意味を持ちます。
一方で、かつて盛んだった国の競馬が衰退してしまった例もあります。例えばイタリアは、日本の競馬ファンでもよく知っているトニービンなどを輩出した歴史を持ちながらも近年は勢いを失い、国際舞台での影が薄くなってきてしまいました。長い歴史を誇る競馬が無くなっていくのは一ファンとしてとても寂しいです。


世界の競馬とその特徴
競馬が衰退していく国もあれば、今なお競馬が盛んに行われている国もたくさんあります。
ここでは現在でも競馬が続いている国からいくつかを紹介したいと思います。 」

フランス・イギリス:洋芝競馬の本場。フランスのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞は「世界最高峰の芝レース」とされ、これまで多くの日本調教馬が挑んできました。しかし3頭の馬が2着に入ったのが最高順位で、凱旋門賞の制覇は依然として日本競馬の悲願とされています。 

アメリカ:ダート競馬の本場。ケンタッキーダービーをはじめとする三冠競走が有名で、多くの日本調教馬がアメリカのダートG1に挑んできましたが、勝利を挙げた馬はたったの一頭しかいません。 

香港:香港は短距離戦で世界的に強く、現在も世界トップクラスの馬を輩出しています。 

こうした違いを知ると、同じ「競馬」でも国ごとにまるで別のスポーツのように感じられるのが面白いところですね!
世界で輝いた日本調教馬
日本調教馬はこれまで何度も海外に挑戦してきました。ここでは海外に挑戦した日本調教馬の中から個人的に好きな馬を2頭ご紹介したいと思います。

・シーザリオ
既に私のブログで何度か登場しているシーザリオですが、この馬も海外G1に挑戦した馬の一頭です。
シーザリオは2005年にアメリカンオークス(芝2000)に挑戦し、日本調教馬として初めてのアメリカG1勝利という偉業を達成しました!残念ながらシーザリオはこのレースを最後に怪我で引退することになりましたが、引退後もお母さんとして何頭もの名馬を輩出し、今なお競馬ファンの記憶と血統表に名を刻む名馬になりました。

・マルシュロレーヌ
マルシュロレーヌはアメリカのダートG1を初めて勝利した日本調教馬で、この偉業を達成したのは現在のところ彼女一人だけです。マルシュロレーヌは2021年にBCディスタフ(ダート9ハロン)に勝利しました。前述の通りアメリカ競馬はダートの本場であり、この勝利は世界中に衝撃を与えるとともにマルシュロレーヌの名を日本競馬史に刻むことになりました。

ここでは個人的に特に好きな馬を紹介しましたがこれは本当にほんの一部なので、興味を持った皆さんはぜひご自身で日本調教馬の海外挑戦の歴史を調べてみてください!


ということで、今回は凱旋門賞を前に「海外競馬」についてご紹介しました。日本競馬だけでなく海外の競馬を知ることでさらに奥深さを感じられるはずです。
今週末はいよいよ凱旋門賞!今年はどんなドラマが待っているのか、今からとても楽しみです。

それでは今回はこの辺で!ここまで読んでいただきありがとうございました!

ボールも食欲も、絶好調。

2025-09-19

こんにちは!
今回でなんと7回目の投稿になります、くるちゃんです
ここまで続けられたのも、読んでくださる皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!

さてさて、恒例の「数字にまつわる小話」、今回はラッキーな感じのこの数字――7について!


 世界が愛した“ラッキーセブン”

「7」といえば、まず思い浮かぶのはラッキーセブンですよね。
日本でも野球やビンゴなど、いろんな場面で“幸運”の象徴として使われていますが、
実はこの「7」、世界的にもかなり人気のある数字なんです。


例えば…

  • 一週間は「7日間」

  • 虹の色は「7色」

  • 音階は「ドレミファソラシ」までの「7音」

  • 古代世界の「七不思議」

  • 宗教や神話でも「7」は神聖な数字(例:創世記の7日間)

こうして見ると、「7」ってただの数字じゃなくて、
何かを完結させる数だったり、
区切りやリズムを作る数として使われていることが多いんです。


7はなんとなく、ちょうどいい

「奇数なのにバランスがいい」
「1週間のリズムがちょうどよく回る」
「覚えやすくて、縁起もいい」

そんな理由から、7って人の心にしっくりくる不思議な数字なのかもしれません。


ということで今回は、「7」にまつわるちょっとした小話でした!
次回は「8」……またグッと変わった世界が見えてくるかもしれません。。。



ついに出た、ボウリング人生“初”の200点ちょうど

ボウリングは、昔からずっと好きなスポーツです!!


あの一球に集中して、ピンがガラガラっと倒れるあの音を聞くと、
なんとも言えないスッキリ感と、ちょっとした達成感がやってきます。。。




特に、カーブでピンが割れる瞬間がたまりません。
まっすぐでは倒れないピンが、横から巻き込まれてごっそり消えていく。


あの快感が忘れられず、投げ方を研究し続けてきました。


そして先日、ついにその努力が報われた日が来ました。


1フレームから5フレームまで、見事にストライクが続き、
7フレーム以降もスペアやストライクを丁寧につなぎ、スコアは193点
「あと少しで夢の200点…!」と、プレッシャーがかかる10フレーム。



1投目、まさかのガター。



頭が真っ白になりかけたけど、2投目で冷静に7本倒して――

スコアはぴったり200点。

ガッツポーズというより、「よっしゃ…」と小さくつぶやいたくらいの、
静かだけど、心に沁みる達成感がありました。


やっと辿り着いた、ボウリング人生初の200点。
あのスコアボードの写真は、今でもスマホの中の小さな“宝物”です!!

まだ暑いけど、気づけば“秋の味”を探してる

9月も半ばを過ぎたけど、まだ昼間はしっかり暑い。


朝晩は少し風が涼しくなったとはいえ、日中は半袖のまま汗をかく日も多くて、
「本当に秋って来るのかな…」と思ってしまうような気温が続いています。


でも、それでも不思議と――


最近、食べたいものが秋っぽくなってきた気がします!!


さつまいも、栗、きのこ、梨。
スーパーで見かけるたびに、なんとなく手に取りたくなって、
気づけば買い物カゴの中に“茶色っぽい食材”が増えている。



扇風機の効いた部屋で、ほくほくのやきいもを食べている自分に、
「まだ夏だぞ」とツッコミを入れたくなる瞬間もあります(笑)


食欲の秋って、気温じゃなくて気持ちのスイッチなのかもしれません。


身体はまだ夏の名残に包まれていても、心は少しずつ“食べたい秋”に切り替わっていく。


今年は、秋限定のお菓子やドリンクを早めに楽しんで、
まだ暑い日々の中にちょっとだけ秋を先取りして過ごしてみようと思います!!!


以上くるちゃんでした!!
まだまだ暑いですが残り頑張っていきましょう!!!

次回も是非よろしくお願いします!!!

語りたい!地元の魅力!

2025-09-19
三重県の北部になります!
 こんにちは!9月なのにまだまだ暑くて、エアコンが手放せないこーちゃんです!
 今回は、私の地元である三重県四日市市について語りたいと思います!
 「四日市って、コンビナートの街でしょ?」なんて思っているそこのあなた!実はそれだけじゃないんです。
 今回は、私が愛してやまない四日市市の知られざる魅力を、たっぷりご紹介しますね!
三重県四日市市ってどんな場所?
 皆さん、三重県の県庁所在地は「津市」ですが、実は人口が一番多いのはどこか知っていますか?
 正解は、私が住む四日市市なんです!これ、結構意外じゃないですか?
 そして四日市市は、芸能界やエンタメ界でもすごいんです!
「くやしいです!」のフレーズでおなじみのお笑い芸人、ザブングル加藤歩さん。 心に響く歌声でファンを魅了する歌手、Ms.OOJAさん。 そして、今大人気のイラストレーター兼バーチャルYouTuber、しぐれういさん。
 実はみんな、四日市市出身なんです!こんなにたくさんの有名人がいるなんて、なんだか誇らしいですよね!
四日市市のここがすごい!
真冬でもこの明るさ!
 四日市市は、石油化学コンビナートや半導体工場が集積する、日本有数の産業都市です。
 子どもの頃は、夜になると家の窓から見える工場の光が、なんだか不思議でワクワクしたのを覚えています。
 大人になった今でも、あの頃のワクワクは健在です!特に、休日は友達とコンビナートの工場夜景を見に行くんですが、無数の光が作り出す景色は、何度見ても飽きることがありません。
 工場だけでなく、四日市市には心癒されるスポットもたくさんあります。
 自然に囲まれた湯の山温泉は、僕のお気に入りの場所。露天風呂に入りながら、ゆっくりと時間が流れるのを感じるのが、最高の贅沢です。
 そして、御在所岳では、冬になるとスキーも楽しめます!小さい頃からよく家族と遊びに行っていた、思い出深い場所でもあります。
四日市の名物料理!
「まつもとの来来憲」の塩とんてき
 四日市市といえば、なんといってもご当地グルメ「四日市とんてき」は外せません!
 分厚い豚肉を野球のグローブのように大きく切り込みを入れ、濃厚な特製ソースとニンニクで炒める、豪快な一品です。
 一口食べれば、パンチの効いた味付けと、ジューシーな豚肉の旨みが口いっぱいに広がり、ご飯を食べる手が止まらなくなります!
 僕がよく行くのは、「四日市とんてき」の発祥と言われる「まつもとの来来憲」さんです。
 中でも僕のおすすめは「塩とんてき」!付属のレモンをギュッと絞ると、爽やかな酸味が加わって、豚肉の美味しさをさらに引き立ててくれるんです。
四日市市に来た際は、ぜひこの最強の組み合わせを体験してみてください!
 今回は、僕の地元・四日市市の魅力をたっぷりご紹介しました。
 工場夜景や温泉、そして絶品グルメの「とんてき」など、たくさんの顔を持つ四日市市。このブログを読んで、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです!
 実は、今回紹介しきれなかった魅力もまだまだたくさんあります。地元愛たっぷりで四日市市の情報を発信していきますので、ぜひまた見に来てくださいね!

ここまでご覧いただきありがとうございました!

問いの世界に生きる

2025-09-12
こんにちは。りんちゃんです!
「問いの世界には自由がある。答えの世界には自由がない。」
これは、私があるお寺の掲示板で見かけた言葉です。
既に用意された「答え」に従うのは、確かに楽かもしれません。

けれど、生き方やものの見方は本来、人それぞれにあるはずです。

私自身、これまでの人生の中で、社会や家族から「こうあるべき」という答えを押しつけられたことがありました。
それが本当に自分にとっての「正解」なのか。そう自分に問い直すのは、時に疲れるし、孤独も感じます。
今回は、そんな「問い」にとどまり続けたふたりの芸術家、フランツ・シューベルトと中島敦について書いてみます。
彼らは不安や苦しみを抱えながらも、答えを急がず、問いを作品に刻みました。
その姿勢に、私はある種の救いと自由を感じています。
シューベルトの問い:D960と《冬の旅》の行き着く先
シューベルトの《ピアノ・ソナタ第21番 D960》は、彼の最晩年に書かれた作品です。
冒頭、左手の低音で静かなトリルが響き、長い間のあと、旋律がゆっくりと始まります。
その響きには、何かを「問うている」ような雰囲気があります。
誰かに説明するためではなく、自分の内側に耳を澄ませるような、そんな問いかけです。

彼の歌曲集《冬の旅》でも、似た問いが繰り返されています。
これは、恋人に去られ、雪の中を歩き続ける男の物語。
特に印象的なのは第21曲「Das Wirtshaus(宿屋)」。
疲れ果てた旅人が宿屋に辿り着き、「ようやく休める」と思うけれど、そこは彼を迎え入れない。彼は再び歩き始めます。
ここで「宿屋」は「死」の比喩とも読めます。


実際、シューベルトは若い頃から不治の病を抱えていました。
絶望を抱えながらも音楽を愛し、常に死の影を感じながら生きていたのです。
「自分はいずれ死ぬ」という確信と、「それでも死はなかなか訪れない」という残酷な矛盾。
その狭間に、彼の音楽が生まれたのかもしれません。

中島敦の問い:「山月記」
日本の作家中島敦の作品にも、「答えの出ない問い」が強く流れています。

代表作『山月記』では、「なぜ自分は虎になってしまったのか?」という問いが物語の軸です。
詩人として名を残したいという誇りと、自分の才能への不安との間で揺れた男が、ついには人間性を失って虎になる。
彼は山中で旧友に再会し、己の過去を語りながら、問い続けます。
自分の弱さ、社会との距離、失ったものの意味……。
でも、最後までその問いに明確な答えは出ません。

それは作者である中島敦自身にも通じます。
病弱で、社会に適応することも難しかった中島は、33歳という短い生涯の中で、ずっと問い続けていた人だったように思います。
彼の小説は、読者に問いを投げかけたまま終わります。
解決を示さないからこそ、その言葉はいつまでも胸に残ります。
問いと自由
シューベルトは31歳で病死し、中島敦は33歳で結核で亡くなりました。
二人とも短い人生の中で、最後まで「答えの出ない問い」と向き合い続けた人たちです。

シューベルトは生涯ベートーヴェンを敬愛し、死後はその隣に葬られました。
中島敦もまた、芥川龍之介を敬い、彼の作風から大きな影響を受けました。
彼らは先人の光に導かれつつも、その影にとどまらず、自分の足で歩み、自分なりの答えを探し続けました。 

問いには、終わりがありません。
それは不安でもありますが、「問い続けていいのだ」という自由でもあります。


シューベルトの音楽が、解決しきらないまま消えていくように。
中島敦の物語が、答えを示さずに終わるように。
私もまた、答えを急がず、問いと共に生きていこうと思います。

そこにこそ、本当の自由があるのかもしれません。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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